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とくとくコーナー クイズに答えて素敵な賞品をもらおう!
2016年10月
『達人の言葉シリーズ8』
『この言葉を語った「達人」は?』
スポーツの世界であれ、学問の世界であれ、はたまた経営の世界であれ、その道を極めた「達人」の言葉には、思わず「なるほど」と言わしめる含蓄があります。そうした言葉は、私たちの人生を導く羅針盤ともなります。落ち込んだ時、迷った時、誰かを励ましたい時… ぜひ「達人」の言葉を思い起こしてください。
問題:次の名言を語った人は1~3のどれでしょうか。
「指導者にとって大事なのは、選手と一緒にどれだけ成長していけるか。選手は試合で経験しながら成長できるけれど、我々は試合に出られない。選手の10倍は努力しないと、選手と一緒に成長できない。」
1. 栗山英樹
2. 工藤公康
3. 高橋由伸
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スポーツの世界であれ、学問の世界であれ、はたまた経営の世界であれ、その道を極めた「達人」の言葉には、思わず「なるほど」と言わしめる含蓄があります。そうした言葉は、私たちの人生を導く羅針盤ともなります。落ち込んだ時、迷った時、誰かを励ましたい時… ぜひ「達人」の言葉を思い起こしてください。
問題:次の名言を語った人は1~3のどれでしょうか。
「指導者にとって大事なのは、選手と一緒にどれだけ成長していけるか。選手は試合で経験しながら成長できるけれど、我々は試合に出られない。選手の10倍は努力しないと、選手と一緒に成長できない。」
1. 栗山英樹
2. 工藤公康
3. 高橋由伸
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■賞品:下記の通り
■回答:番号でお答えください
■締め切り:2016年11月10日 (木)
■発表:メールマガジン2016年11月25日号にて。
※受付期間を過ぎたもの、必要事項がすべて記入されていないものは無効となります。
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クイズの答え
前回の答え… 1. 栗山英樹
解説
栗山英樹氏は、1961年東京都小平市出身。小学生で軟式野球を始め、中学2年の時、小平市内の硬式野球クラブに入部、投手として活躍し、日米大会でMVPに輝いたこともあります。高校時代は主将兼エースでしたが、甲子園への出場はなりませんでした。東京学芸大学進学後も野球部に入部、エースとして活躍しましたが、2年のときに肘を故障し、野手に転向。しかし打者としても大学通算打率3割8分9厘の成績を残しています。
1984年、ドラフト外でヤクルトスワローズに入団、遊撃手、外野手としてプレー。1989年には外野手部門でゴールデングラブ賞を受賞するなど高い評価を得ましたが、一方でメニエール病などに苦しみ、1990年、体調不良で現役を引退します。
その後、野球解説者、野球評論家、スポーツキャスターなどメディアで活動するほか、白鴎大学経営学部教授として教鞭をとっていましたが、2012年、コーチの経験なしで北海道日本ハムファイターズの監督に就任、1年目にしてリーグ優勝を果たします。2016年、日本シリーズも制し、日本一に輝きました。著書も多く、組織のリーダーのあるべき姿を語った名言も数多く残しています。そのいくつかをご紹介すると…
「選手を試合で起用するときには、僕はその選手を全面的に信じています。コーチは、選手の実力や状態を冷静に評価できないとダメですが、首脳陣のなかで僕ぐらいは、選手を信じてあげようと思っています」
「人は育つときには、自分の力で育っていくはずです。ただ僕にできるのは、『彼なら伸びる』と信じて、活躍できる環境をつくってあげるだけだと思っています」
「僕にだって『部下から評価されたい』という思いはあります。でも、その気持ちが強くなりすぎると、部下から評価してもらうために自分の振る舞いを変えるようになります。これでは、行動にブレが生じます。監督としての僕に求められているのは、『チームを成長させ、そして優勝すること』です。そのために、自分ができることをやり尽くすのが役割です。だったら、『自分は選手からどう評価されているんだろうか』という思いは、邪魔になるのです」
「一般に選手の育成とチームの勝利は、両立が難しいといわれます。でも僕は、両立は不可能ではないと思っていました。プロ野球では年間144試合のうち、80勝前後すれば、残りは50敗しても優勝することができます。ということは、その50敗を選手の成長につながる負け試合にすれば、選手を育てながらでも優勝できるはずだからです」
解説
栗山英樹氏は、1961年東京都小平市出身。小学生で軟式野球を始め、中学2年の時、小平市内の硬式野球クラブに入部、投手として活躍し、日米大会でMVPに輝いたこともあります。高校時代は主将兼エースでしたが、甲子園への出場はなりませんでした。東京学芸大学進学後も野球部に入部、エースとして活躍しましたが、2年のときに肘を故障し、野手に転向。しかし打者としても大学通算打率3割8分9厘の成績を残しています。
1984年、ドラフト外でヤクルトスワローズに入団、遊撃手、外野手としてプレー。1989年には外野手部門でゴールデングラブ賞を受賞するなど高い評価を得ましたが、一方でメニエール病などに苦しみ、1990年、体調不良で現役を引退します。
その後、野球解説者、野球評論家、スポーツキャスターなどメディアで活動するほか、白鴎大学経営学部教授として教鞭をとっていましたが、2012年、コーチの経験なしで北海道日本ハムファイターズの監督に就任、1年目にしてリーグ優勝を果たします。2016年、日本シリーズも制し、日本一に輝きました。著書も多く、組織のリーダーのあるべき姿を語った名言も数多く残しています。そのいくつかをご紹介すると…
「選手を試合で起用するときには、僕はその選手を全面的に信じています。コーチは、選手の実力や状態を冷静に評価できないとダメですが、首脳陣のなかで僕ぐらいは、選手を信じてあげようと思っています」
「人は育つときには、自分の力で育っていくはずです。ただ僕にできるのは、『彼なら伸びる』と信じて、活躍できる環境をつくってあげるだけだと思っています」
「僕にだって『部下から評価されたい』という思いはあります。でも、その気持ちが強くなりすぎると、部下から評価してもらうために自分の振る舞いを変えるようになります。これでは、行動にブレが生じます。監督としての僕に求められているのは、『チームを成長させ、そして優勝すること』です。そのために、自分ができることをやり尽くすのが役割です。だったら、『自分は選手からどう評価されているんだろうか』という思いは、邪魔になるのです」
「一般に選手の育成とチームの勝利は、両立が難しいといわれます。でも僕は、両立は不可能ではないと思っていました。プロ野球では年間144試合のうち、80勝前後すれば、残りは50敗しても優勝することができます。ということは、その50敗を選手の成長につながる負け試合にすれば、選手を育てながらでも優勝できるはずだからです」
【 当選発表 】
N.Mさん(放送技術科 1968年卒)
N.Mさん(放送技術科 1968年卒)
賞品詳細
賞品1
人気の「東京ディズニーランド 1dayパスポートペアチケット」を1組(2名分)に!
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