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とくとくコーナー クイズに答えて素敵な賞品をもらおう!

2019年03月

『達人の言葉シリーズ32』

『この言葉を語った「達人」は?』

問題: 次の名言を語った人は1~3のどれでしょうか。

「リスクを避けていては、その対戦に勝ったとしてもいい将棋は残すことはできない。積極的にリスクを負うことは未来のリスクを最小限にする」

1. 中原誠
2. 谷川浩司
3. 羽生善治


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■賞品:下記の通り
■回答:番号でお答えください
■締め切り:2019年04月11日 (木)
■発表:メールマガジン2019年04月28日号にて。

※受付期間を過ぎたもの、必要事項がすべて記入されていないものは無効となります。
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クイズの答え

前回の答え… 3. 羽生善治

解説
 羽生善治(はぶよしはる)さんは、1970年、埼玉県所沢市出身。小学校1年生のときに同級生から将棋の駒の動かし方を教わって以来、将棋に熱中し、2年生のときから地元の将棋道場に通うようになります。3年生で初段、4年生で四段に昇段。5年生になりアマ名人戦の都下予選を史上最年少で通過。4つの小学生大会で優勝します。
 6年生の春、小学生将棋名人戦で優勝、同年、プロ棋士養成機関の奨励会入会試験に合格。その後、驚異的な速度で昇級、昇段を重ね、1985年に三段で13勝4敗を記録してプロに昇格。史上3人目の中学生棋士となりました。
 1986年、プロデビュー初年度には全棋士中一位の勝率0.741(40勝14敗)を記録し、将棋大賞の新人賞と勝率一位賞を受賞。1988年度のNHK杯戦では、大山康晴、加藤一二三、谷川浩司、中原誠と当時現役の名人経験者4人をすべて破って優勝するという快挙を達成。
 1989年、竜王戦でタイトル戦に初登場。研究会「島研」の恩師だった島朗氏との熱闘を4勝3敗で制し、当時最年少記録の19歳で初タイトル獲得。棋界で名人位と並んで序列トップの竜王位に就きました。
 1996年2月に将棋界で初の7タイトル独占を達成。2012年7月には十五世名人・大山康晴の通算タイトル獲得期数80期の記録を抜きます。全7タイトル戦のうち竜王戦を除く6つでの永世称号に加え、名誉NHK杯選手権者の称号を含め、史上初となる7つの永世称号を保持しました。
 十六世名人の中原誠は、羽生さんを「オールラウンドプレーヤーで欠点のない歴史上初の棋士」と評し、谷川浩司(引退後に十七世名人)は、「羽生さんはあらゆる戦法を指しこなせる棋士。オールラウンドプレイヤーで変幻自在のため、どう指してくるのかわからない。攻めも受けも強い。こだわりが全くないのが特色。棋風がない」と述べています。
 昨年12月、竜王位を失い、27年ぶりに“無冠”となったことで、羽生善治の時代も終わったと言われましたが、今年3月の第68回NHK杯テレビ将棋トーナメントで郷田真隆九段を下して優勝、同棋戦11回目の優勝とともに、史上最多となる45回目の棋戦優勝を果たしました。NHK杯は若手棋戦も含めて2番目に短い、持ち時間10分・切れたら1手30秒未満という「早指し」棋戦です。「早指し」は、瞬時の判断力に勝る若手棋士が有利である、というのが将棋界の定説ですが、今回の羽生九段は、世代交代の大きな流れを象徴するような20代の実力者たちを打ち倒しての優勝で、改めて羽生善治さんの強さを印象付けました。

そんな羽生さんの名言をいくつかご紹介します。

私は才能は一瞬のひらめきだと思っていた。
しかし今は10年とか20年30年を同じ姿勢で同じ情熱を傾けられることが才能だと思っている。

何かに挑戦したら確実に報われるのであれば、誰でも必ず挑戦するだろう。報われないかもしれないところで、
同じ情熱、気力、モチベーションをもって継続しているのは非常に大変なことであり、私は、それこそが才能だと思っている。

遠回りしながらも、もがいて身につけたものの方が、簡単に得たものよりも後々まで役立ちます。
【 当選発表 】
U.Tさん 高度情報処理科(2011年卒)
Y.Sさん Webデザイン科(2017年卒)
T.Yさん グラフィックデザイン科(2018年卒)

賞品詳細

現在応募期間対象外です。