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とくとくコーナー クイズに答えて素敵な賞品をもらおう!

2023年03月

『達人の言葉シリーズ59』

問題: 1月に現役引退を表明した「車椅子テニス」世界ランク1位・国枝慎吾さんの語った言葉はどれでしょうか?

1. 自分で自分を信じる必要があります。信じていれば私たちは素晴らしいことができるんです。
2. 最年少記録は二度と作れないですが、最年長記録はまた作れます。
3. 世界を目指す人たちは誰でも負けず嫌いですが、その中でもさらに負けず嫌いじゃないと勝てないんですよ。


■賞品:下記のとおり
■回答:番号でお答えください
■締め切り:2023年03月09日 (木)
■発表:メールマガジン2023年03月25日号にて。

※受付期間を過ぎたもの、必要事項がすべて記入されていないものは無効となります。
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クイズの答え

正解…3
1. はベアトリーチェ・ビオ(車椅子フェンシング)  
2. は杉浦佳子(自転車ロードレース)
 
解説
 国枝慎吾さんは、1984年2月21日千葉県出身。9歳の頃、脊髄腫瘍を発病し車いす生活を送ることになりました。2年後の11歳の時、母の勧めをきっかけに車いすテニスと出会いますが、当初はテニスよりもバスケットボールに夢中だったようです。バスケであれ、テニスであれ、健常者の友人と共にスポーツを楽しむことで、その後の武器となった「車いす操作」を自然と身につけるようになりました。
 高校に入ると国内で頭角を現し、海外遠征を経験し、日本と世界のレベルの差に衝撃を受け、その後、丸山弘道氏に指導を受けることとなり、本格的に競技レベルに転向します。
 2004年アテネパラリンピックに出場、斎田悟司選手とペアを組み、ダブルス金メダルを獲得。2006年10月USオープンにて、自身2つ目となるグランドスラムタイトルを獲得しアジア人初の世界ランキング1位の座に輝きます。2007年、アジア初の世界チャンピオン、車いすテニス史上初となる年間グランドスラム(当時の4大大会制覇)を達成。2008年北京パラリンピックでは、シングルス金メダル、ダブルス銅メダルを獲得。2009年、障害者のグランドスラムが健常者のグランドスラムと同じ大会に変更になり、その年の全豪オープンで3連覇。4月には車いすテニス選手として日本初のプロ転向を宣言します。
 その後もジャパンオープン4連覇、全仏オープン3連覇。ダブルスのみ開催のウィンブルドンでは準優勝。USオープンでも07年に続き2連覇を達成。2010年、全豪オープン、全仏オープン、USオープンの全てのグランドスラム・シングルス優勝。11月のマスターズ戦での敗北まで、シングルス連勝記録を107に伸ばしました。
 2011年に優勝したUSオープンで肘を痛め、しばらく戦線離脱を余儀なくされましたが、2012年5月のジャパンオープンで復帰、9月に行われたロンドンパラリンピックで前人未到の2大会連続金メダルを獲得し、完全復活を果たします。2014年、4年ぶり4回目の年間グランドスラムを獲得、プロスポーツを対象に表彰されるスポーツ功労者文部科学大臣顕彰受賞。
「俺は最強だ!」を座右の銘に、車いすテニス界で圧倒的なポジションを確立、2021年東京・パラリンピックで金メダルを獲得し、2023年1月に世界ランク1位のまま引退を宣言しました。3月3日、日本政府は国枝さんの国民栄誉賞の授与を決定しました。

国枝慎吾さんのその他の名言

(2004年の)アテネパラリンピックの時は、僕が金メダルを獲ってもスポーツ欄になかなか載らない時期がありました。それをどうにかしてスポーツとして扱ってもらいたいと考えました。「車いすテニスをやって偉いね」とよく言われるんですが、車いすでテニスをやっていることが偉いんじゃなくて、眼が悪ければ眼鏡をかけるように、僕は足が悪いから車いすでスポーツをするしかない。結局、特別なことではない。
相手との戦い、自分との戦い、そして『スポーツとして見られたい』という戦い。この3つが現役中は肩にのしかかっていたなと思う。

気持ち的に以前と違うのは、試合で『勝つこと』への執念ですね。自分は勝ちへの執念が世界で一番強いと思ってましたが、もっと強くなりました。
【 当選発表 】
O.Yさん 情報処理科 1975年卒業
S.Yさん コンピュータグラフィックス研究科 2001年卒業
U.Rさん ゲーム制作科 2007年卒業
H.Yさん Webデザイン科 2016年卒業

賞品詳細

現在応募期間対象外です。