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とくとくコーナー クイズに答えて素敵な賞品をもらおう!
2023年01月
『達人の言葉シリーズ58』
問題: 2022年カタールW杯で、惜しくも8強を逃した日本代表監督・森保一さんの語った言葉はどれでしょうか?
1. 目の前の試合に向けて最善の準備をするっていうことしか考えてないので、結果に一喜一憂しない
2. 重圧やプレッシャーは重力みたいなもので、重力がないと筋肉も骨もダメになっちゃう。
3. ピッチの中の選手に運なんか関係ない。運を持っている選手がいるならば、宝くじを買ってくれ。
1. 目の前の試合に向けて最善の準備をするっていうことしか考えてないので、結果に一喜一憂しない
2. 重圧やプレッシャーは重力みたいなもので、重力がないと筋肉も骨もダメになっちゃう。
3. ピッチの中の選手に運なんか関係ない。運を持っている選手がいるならば、宝くじを買ってくれ。
■賞品:下記のとおり
■回答:番号でお答えください
■締め切り:2023年01月31日 (火)
■発表:メールマガジン2023年02月25日号にて。
※受付期間を過ぎたもの、必要事項がすべて記入されていないものは無効となります。
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クイズの答え
正解…1
2. は岡田武史 3. はジーコ
解説
森保一さんは、1968年8月23日静岡県掛川市生まれ。造船関係の父親の仕事の関係で幼少期から掛川、名古屋、横須賀、唐津と転居、小学一年生から長崎市に定住します。小学5年からサッカーを本格的に始め、6年生で全日本少年サッカー大会にGKとして出場。長崎日大高校時代には攻撃的MFとして山梨国体選抜に選ばれました。
高校卒業後の1987年、日本サッカーリーグ(JSL)のマツダ(現サンフレッチェ広島)に入団、当時の監督だったハンス・オフトから高い評価を受けます。1992年4月、ハンス・オフトが日本代表監督に就任し、日本代表に初招集。他の代表選手の多くは、森保選手の存在すら知らず「森保」を「モリヤス」と読めなかったという無名選手の大抜擢でした。同年5月のオフトジャパン初戦のアルゼンチン戦で先発メンバーに抜擢、代表戦初出場を果たし、アルゼンチン監督から「日本にはいいボランチがいる」と高く評価されたことから、「森保」の名前と「ボランチ」の名称が脚光を浴びるようになりました。以降、レギュラーとして活躍し、1993年のW杯アメリカ大会のアジア最終予選で「ドーハの悲劇」を経験します。
同年Jリーグが開幕、サンフレッチェ広島では、風間八宏と共に中盤の要として活躍し、1994年のサントリーシリーズでは広島のステージ優勝に貢献しました。その後、広島の経営悪化に伴い京都パープルサンガへレンタル移籍、主力としてチームを支え、99年に広島に復帰しますが、怪我のため満足に出場できず、2002年ベガルタ仙台に移籍、2004年1月、現役を引退しました。
引退後は、古巣のサンフレッチェ広島のコーチ、U-19日本代表コーチ、アルビレックス新潟ヘッドコーチなどを歴任し、2012年からサンフレッチェ広島の監督に就任。4年間で3度のリーグ優勝を飾ります。2017年から五輪代表監督、2018年のW杯ロシア大会では西野朗監督のもと、コーチとして日本代表チームに帯同して16強進出に貢献します。同年7月、日本代表監督に就任、2022年W杯カタール大会では、ドイツ、スペイン、コスタリカという強豪ばかりのグループで、日本代表史上初めてドイツとスペインを破り、予選を首位で通過、各国のメディアも森保監督をこぞって同大会の監督ランキング2位や3位に選出しました。この時の采配が高く評価され、12月に日本サッカー協会は日本代表監督の続投を決めました。
森保監督のその他の名言
キレイに勝とうと思わんでいいから、泥臭く局面局面を勝っていく。
ダメなところを改善することで良くなるはず、という考えを捨て、できるだけ長所に目を向ける。
年齢やチームメイトが変わっても、舞台が五輪であろうがW杯であろうが、基本的な仕事が変わらないから質も落ちない。
心が折れても人生は続く。
うまくいかなくなったら基本に立ち返ればいい。
2. は岡田武史 3. はジーコ
解説
森保一さんは、1968年8月23日静岡県掛川市生まれ。造船関係の父親の仕事の関係で幼少期から掛川、名古屋、横須賀、唐津と転居、小学一年生から長崎市に定住します。小学5年からサッカーを本格的に始め、6年生で全日本少年サッカー大会にGKとして出場。長崎日大高校時代には攻撃的MFとして山梨国体選抜に選ばれました。
高校卒業後の1987年、日本サッカーリーグ(JSL)のマツダ(現サンフレッチェ広島)に入団、当時の監督だったハンス・オフトから高い評価を受けます。1992年4月、ハンス・オフトが日本代表監督に就任し、日本代表に初招集。他の代表選手の多くは、森保選手の存在すら知らず「森保」を「モリヤス」と読めなかったという無名選手の大抜擢でした。同年5月のオフトジャパン初戦のアルゼンチン戦で先発メンバーに抜擢、代表戦初出場を果たし、アルゼンチン監督から「日本にはいいボランチがいる」と高く評価されたことから、「森保」の名前と「ボランチ」の名称が脚光を浴びるようになりました。以降、レギュラーとして活躍し、1993年のW杯アメリカ大会のアジア最終予選で「ドーハの悲劇」を経験します。
同年Jリーグが開幕、サンフレッチェ広島では、風間八宏と共に中盤の要として活躍し、1994年のサントリーシリーズでは広島のステージ優勝に貢献しました。その後、広島の経営悪化に伴い京都パープルサンガへレンタル移籍、主力としてチームを支え、99年に広島に復帰しますが、怪我のため満足に出場できず、2002年ベガルタ仙台に移籍、2004年1月、現役を引退しました。
引退後は、古巣のサンフレッチェ広島のコーチ、U-19日本代表コーチ、アルビレックス新潟ヘッドコーチなどを歴任し、2012年からサンフレッチェ広島の監督に就任。4年間で3度のリーグ優勝を飾ります。2017年から五輪代表監督、2018年のW杯ロシア大会では西野朗監督のもと、コーチとして日本代表チームに帯同して16強進出に貢献します。同年7月、日本代表監督に就任、2022年W杯カタール大会では、ドイツ、スペイン、コスタリカという強豪ばかりのグループで、日本代表史上初めてドイツとスペインを破り、予選を首位で通過、各国のメディアも森保監督をこぞって同大会の監督ランキング2位や3位に選出しました。この時の采配が高く評価され、12月に日本サッカー協会は日本代表監督の続投を決めました。
森保監督のその他の名言
キレイに勝とうと思わんでいいから、泥臭く局面局面を勝っていく。
ダメなところを改善することで良くなるはず、という考えを捨て、できるだけ長所に目を向ける。
年齢やチームメイトが変わっても、舞台が五輪であろうがW杯であろうが、基本的な仕事が変わらないから質も落ちない。
心が折れても人生は続く。
うまくいかなくなったら基本に立ち返ればいい。
【 当選発表 】
S.Kさん コンピュータ・グラフィックス科 1985年卒業
M.Mさん ゲームCGデザイン科 2011年卒業
H.Tさん 情報処理科 2002年卒業
O.Hさん コンピュータグラフィックス科 2022年卒業
K.Mさん 夜間・電気工学科 2年在学中
I.Yさん 高度情報処理科 1年在学中
S.Kさん コンピュータ・グラフィックス科 1985年卒業
M.Mさん ゲームCGデザイン科 2011年卒業
H.Tさん 情報処理科 2002年卒業
O.Hさん コンピュータグラフィックス科 2022年卒業
K.Mさん 夜間・電気工学科 2年在学中
I.Yさん 高度情報処理科 1年在学中
賞品詳細
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