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とくとくコーナー クイズに答えて素敵な賞品をもらおう!
2023年06月
『達人の言葉シリーズ62』
問題: 去る3月3日に88歳で生涯を終えた芥川賞作家・大江健三郎さんの語った言葉は次のどれでしょうか?
1. この国では、無知、あるいは知識や情報が足りないことが場合によって罪悪になるという認識が薄い。
2. 人間は人間に苦しめられ、人間に振り回され、人間に惑わされ、人間にクタクタにさせられるけれど、でも最後はきっと人間に救われるはずだ、と信じて生きたい。
3. 教わって「知る」、それを自分で使えるようになるのが「分かる」。そのように深めるうち、初めての難しいことも自力で突破できるようになる。それが「さとる」ということ。
1. この国では、無知、あるいは知識や情報が足りないことが場合によって罪悪になるという認識が薄い。
2. 人間は人間に苦しめられ、人間に振り回され、人間に惑わされ、人間にクタクタにさせられるけれど、でも最後はきっと人間に救われるはずだ、と信じて生きたい。
3. 教わって「知る」、それを自分で使えるようになるのが「分かる」。そのように深めるうち、初めての難しいことも自力で突破できるようになる。それが「さとる」ということ。
■賞品:下記のとおり
■回答:番号でお答えください
■締め切り:2023年06月11日 (日)
■発表:メールマガジン2023年06月25日号にて。
※受付期間を過ぎたもの、必要事項がすべて記入されていないものは無効となります。
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クイズの答え
正解…3
1は村上龍 2は辻仁成
解説: 大江健三郎さんは1935年1月31日愛知県喜多郡大瀬村で生まれました。小学校入学の年に太平洋戦争が勃発し、小学校時代の大半を戦時下で過ごしました。愛媛県立松山東高校では文学部に所属して、部誌『掌上』の編集にたずさわり、自身の詩や評論を掲載していました。同級生に伊丹十三さんがいました。
1954年東京大学教養学部文科二類に入学。演劇脚本や短編小説の執筆を始め、1955年、小説『優しい人たち』が「文藝」の第三回全国学生小説コンクールで佳作入選します。1957年、東大五月祭賞受賞作『奇妙な仕事』が東京大学新聞に掲載されて、文芸評論家の平野謙氏に高く評価され、これを契機に短編『死者の奢り』で学生作家としてデビュー、同作品は第38回芥川賞の候補となりました。そして翌58年、『飼育』で第39回芥川賞を23歳で受賞します。1960年伊丹十三さんの妹・ゆかりさんと結婚。このころ、石原慎太郎、江藤淳、浅利慶太らの「若い日本の会」に加わり、政治活動も行うようになります。
1963年、長男の光さんが頭蓋骨異常による知的障害を持って誕生、これを題材にした『個人的な体験』で第11回新潮社文学賞を受賞。同年、ルポ『ヒロシマ・ノート』の連載を始め、障害を持つ子供との共生と核の問題という2つが大江さんの生涯のテーマとなります。1967年、『万延元年のフットボール』で最年少で第3回谷崎潤一郎賞を受賞。このころから海外作家との交流も盛んになり、『個人的な体験』『万延元年のフットボール』の英訳出版などで次第に国際的な作家として知られるようになりますが、その地位を不動にしたのが、1994年のノーベル文学賞の受賞です。川端康成以来26年ぶりの受賞でした。2023年3月3日、老衰のため88歳の生涯を閉じました。
【大江健三郎さんのその他の名言】
見る前に跳べ。
日本の子どもは、日本の歴史をまともに学んでゆくだけでいい。そうすれば、まともに育ってゆけます。
人間を見る目の力が本当に強い人(カメラマン)は、被爆という、人間の悲惨な傷痕を撮っても、ある人間らしさを表現することができる。もし自分が小説家として仕事を続けていくならば、こういうふうに人間を見つめる目というものを作らなくてはいけない、と私は思いました。
一方的な選択を過去から現在、そして未来へ持続していこうとする一貫性が、その人間の人格ということになる。
僕には希望を持ったり、絶望したりしている暇がない。
1は村上龍 2は辻仁成
解説: 大江健三郎さんは1935年1月31日愛知県喜多郡大瀬村で生まれました。小学校入学の年に太平洋戦争が勃発し、小学校時代の大半を戦時下で過ごしました。愛媛県立松山東高校では文学部に所属して、部誌『掌上』の編集にたずさわり、自身の詩や評論を掲載していました。同級生に伊丹十三さんがいました。
1954年東京大学教養学部文科二類に入学。演劇脚本や短編小説の執筆を始め、1955年、小説『優しい人たち』が「文藝」の第三回全国学生小説コンクールで佳作入選します。1957年、東大五月祭賞受賞作『奇妙な仕事』が東京大学新聞に掲載されて、文芸評論家の平野謙氏に高く評価され、これを契機に短編『死者の奢り』で学生作家としてデビュー、同作品は第38回芥川賞の候補となりました。そして翌58年、『飼育』で第39回芥川賞を23歳で受賞します。1960年伊丹十三さんの妹・ゆかりさんと結婚。このころ、石原慎太郎、江藤淳、浅利慶太らの「若い日本の会」に加わり、政治活動も行うようになります。
1963年、長男の光さんが頭蓋骨異常による知的障害を持って誕生、これを題材にした『個人的な体験』で第11回新潮社文学賞を受賞。同年、ルポ『ヒロシマ・ノート』の連載を始め、障害を持つ子供との共生と核の問題という2つが大江さんの生涯のテーマとなります。1967年、『万延元年のフットボール』で最年少で第3回谷崎潤一郎賞を受賞。このころから海外作家との交流も盛んになり、『個人的な体験』『万延元年のフットボール』の英訳出版などで次第に国際的な作家として知られるようになりますが、その地位を不動にしたのが、1994年のノーベル文学賞の受賞です。川端康成以来26年ぶりの受賞でした。2023年3月3日、老衰のため88歳の生涯を閉じました。
【大江健三郎さんのその他の名言】
見る前に跳べ。
日本の子どもは、日本の歴史をまともに学んでゆくだけでいい。そうすれば、まともに育ってゆけます。
人間を見る目の力が本当に強い人(カメラマン)は、被爆という、人間の悲惨な傷痕を撮っても、ある人間らしさを表現することができる。もし自分が小説家として仕事を続けていくならば、こういうふうに人間を見つめる目というものを作らなくてはいけない、と私は思いました。
一方的な選択を過去から現在、そして未来へ持続していこうとする一貫性が、その人間の人格ということになる。
僕には希望を持ったり、絶望したりしている暇がない。
【 当選発表 】
I.Kさん シニア情報処理科 1997年卒業
U.Yさん コンピュータ総合技術科 2001年卒業
T.Pさん 情報処理科 2019年卒業
I.Kさん シニア情報処理科 1997年卒業
U.Yさん コンピュータ総合技術科 2001年卒業
T.Pさん 情報処理科 2019年卒業
賞品詳細
賞品1
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