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とくとくコーナー クイズに答えて素敵な賞品をもらおう!
2024年12月
『達人の言葉シリーズ77』
問題: 去る10月17日に虚血性心疾患で亡くなった俳優・西田敏行さんの語った言葉はどれでしょうか。
1. 60になってもまだあんなことをやっている、ということをやった方が、人の励みになる。
2. 役者に年齢は関係ないし、演じることが僕の生きがい。でも、名優と呼ばれたらおしまい。
3. 自分を欺いた芝居をしない、というのは僕が心がけている一番のこと。
1. 60になってもまだあんなことをやっている、ということをやった方が、人の励みになる。
2. 役者に年齢は関係ないし、演じることが僕の生きがい。でも、名優と呼ばれたらおしまい。
3. 自分を欺いた芝居をしない、というのは僕が心がけている一番のこと。
■賞品:下記のとおり
■回答:番号でお答えください
■締め切り:2024年12月10日 (火)
■発表:メールマガジン2024年12月25日号にて。
※受付期間を過ぎたもの、必要事項がすべて記入されていないものは無効となります。
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クイズの答え
正解...3
1...谷啓 2...三國連太郎
解説: 西田敏行さんは1947年11月4日、福島県郡山市出身。幼い頃父親を亡くし、5歳の時母親が再婚、養父によく映画館に連れて行かれ、映画を見ながらスクリーンに映る自分の姿を夢想していたと言います。中学時代から俳優になりたいという意識が出てきて、演劇部に入りますが、福島弁でしか演じられない現状に危機感をもち、中学校卒業後に上京し、俳優になった出身者が多いと雑誌で読んだ明治大学付属中野高校へ進学。1966年明治大学入学と同時に日本演技アカデミーに通います。やがて演技中心の生活になり大学を一年で退学。60年代後半からTVドラマに出演するようになります。70年、劇団青年座に入団して「情痴」で初舞台を踏み、翌年には「写楽考」で座長を務めるほど成長します。74年、「沖田総司」で本格的に銀幕デビューを果たし、「悪魔が来りて笛を吹く」(79)で映画初主演。TVドラマ「西遊記」(78)の猪八戒役や、「池中玄太80キロ」(80)でのコミカルな演技でお茶の間の人気者に。
また歌手として81年にはシングル「もしもピアノが弾けたなら」をリリースし大ヒットしました。さらに素朴で飾り気のないキャラクターやトーク、アドリブの巧さが評価され、俳優だけでなくコメディアンや司会者としてバラエティ番組やコント番組にも多数出演しマルチな才能を発揮するようになります。
その後もスクリーンでは「北斎漫画」(81)、「植村直己物語」(86)、「敦煌」(88)などで本格派俳優として活躍。88年に1作目が公開された「釣りバカ日誌」シリーズは、三國連太郎との“ハマちゃんスーさん”コンビで正月映画の定番になり、最終作「釣りバカ日誌20 ファイナル」(2009)まで番外編を含め22作品に出演しました。2008年、紫綬褒章を受章。2010年には三國連太郎さんと共に第33回日本アカデミー賞会長功労賞を受賞しました。2024年10月17日、虚血性心疾患で76歳の生涯を閉じました。
●西田敏行さんのその他の名言。
「動物には動物の距離感があるように、人間同士がうまくやっていける距離感を、僕ら団塊の世代はすし詰め教室で学びました。」
「釣りバカ日誌のハマちゃんとは22年間一緒に暮らしていて本当に楽しかったです。ハマちゃんを演じている間は、倒れたり病気になったりすることがなかったということを、僕の中で一つの誇りにしています。」
「物事を面白がったり、人生の面白がり方を追求していくこと自体が、役者の演じることの楽しみ方と似てるんじゃないかなというように思う」
「一生懸命に生きているのに、報われない。でも、本当に報われなかったかといったらそうじゃない。愛は必ず返ってくるということを、役を通して静かに伝えたいと思いました。」
「『そんなことしたら生活はできないよ』と言われるぐらいの大きな夢を持っていい。」
1...谷啓 2...三國連太郎
解説: 西田敏行さんは1947年11月4日、福島県郡山市出身。幼い頃父親を亡くし、5歳の時母親が再婚、養父によく映画館に連れて行かれ、映画を見ながらスクリーンに映る自分の姿を夢想していたと言います。中学時代から俳優になりたいという意識が出てきて、演劇部に入りますが、福島弁でしか演じられない現状に危機感をもち、中学校卒業後に上京し、俳優になった出身者が多いと雑誌で読んだ明治大学付属中野高校へ進学。1966年明治大学入学と同時に日本演技アカデミーに通います。やがて演技中心の生活になり大学を一年で退学。60年代後半からTVドラマに出演するようになります。70年、劇団青年座に入団して「情痴」で初舞台を踏み、翌年には「写楽考」で座長を務めるほど成長します。74年、「沖田総司」で本格的に銀幕デビューを果たし、「悪魔が来りて笛を吹く」(79)で映画初主演。TVドラマ「西遊記」(78)の猪八戒役や、「池中玄太80キロ」(80)でのコミカルな演技でお茶の間の人気者に。
また歌手として81年にはシングル「もしもピアノが弾けたなら」をリリースし大ヒットしました。さらに素朴で飾り気のないキャラクターやトーク、アドリブの巧さが評価され、俳優だけでなくコメディアンや司会者としてバラエティ番組やコント番組にも多数出演しマルチな才能を発揮するようになります。
その後もスクリーンでは「北斎漫画」(81)、「植村直己物語」(86)、「敦煌」(88)などで本格派俳優として活躍。88年に1作目が公開された「釣りバカ日誌」シリーズは、三國連太郎との“ハマちゃんスーさん”コンビで正月映画の定番になり、最終作「釣りバカ日誌20 ファイナル」(2009)まで番外編を含め22作品に出演しました。2008年、紫綬褒章を受章。2010年には三國連太郎さんと共に第33回日本アカデミー賞会長功労賞を受賞しました。2024年10月17日、虚血性心疾患で76歳の生涯を閉じました。
●西田敏行さんのその他の名言。
「動物には動物の距離感があるように、人間同士がうまくやっていける距離感を、僕ら団塊の世代はすし詰め教室で学びました。」
「釣りバカ日誌のハマちゃんとは22年間一緒に暮らしていて本当に楽しかったです。ハマちゃんを演じている間は、倒れたり病気になったりすることがなかったということを、僕の中で一つの誇りにしています。」
「物事を面白がったり、人生の面白がり方を追求していくこと自体が、役者の演じることの楽しみ方と似てるんじゃないかなというように思う」
「一生懸命に生きているのに、報われない。でも、本当に報われなかったかといったらそうじゃない。愛は必ず返ってくるということを、役を通して静かに伝えたいと思いました。」
「『そんなことしたら生活はできないよ』と言われるぐらいの大きな夢を持っていい。」
【 当選発表 】
N.Hさん アニメーション科 2020年卒業
N.Kさん 情報処理科 2023年卒業
I.Sさん ネットワークセキュリティ科 2024年卒業
N.Hさん アニメーション科 2020年卒業
N.Kさん 情報処理科 2023年卒業
I.Sさん ネットワークセキュリティ科 2024年卒業
賞品詳細
賞品1
Amazonギフト券 1万円分を応募数20名あたり1名に!
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